フォルカンの行方 ~ 書きやすい万年筆って何だろう

以前、新しい万年筆を手にしたいと思っていたところに出会ったオリジナル万年筆「アガツマ」。今まで絵を描くのに使用してきたパイロットの特殊ペン先「フォルカン」を取り付けることができ、新生フォルカンとして威風堂々とした姿になったのです。ところが、ペン先を調整処理したことにより、今までと同じペン先でもまるで別物のような書き味になったことが判明しました。
今回は、なぜそうなったのかを思案し、書きやすい万年筆とはどんなものかを考えてみたいと思います。メインは「3 拡大してのぞいてみよう」なので、下の目次から飛んでください。あとは駄文です。

 

この度、新たにカスタム743フォルカンを買いなおし、新しいペン先をアガツマへ付け替えました。理由は、自分が使いたい万年筆は無調整のフォルカンだと分かったからです。
せっかくスティロアート軽井沢様に調整いただいたペン先を付け替えるのは心苦しく思い、どうするかかなり迷いましたが覚悟を決めて交換しました。
補足しますと、決して調整による不具合が発生したとか、不十分だったというようなことではありません。

調整でどう変わったのか

アガツマを購入した際、これまで約1年使用してきたフォルカンのペン先を「スムージング」処理していただきました。はたしてどんな書き味になったのかといいますと、以前は針の先でこすっているような書き心地であったのが、実感としてFM(中細)と判別しにくい程度まで滑らかになりました。首軸がカスタム743のものからオリジナルのそれに替わったことも影響がありそうですが、やはりスムージングの効果はてき面であったといえます。確かに今までとは異なりスムーズなのです。

万年筆が想定している用途は、言わずもがな字を書くことです。非常にすべっすべな書き心地に生まれ変わったフォルカンは、字を滑らかに書くという使い道においては間違いなく優秀な筆記具となったといえるでしょう。しかし、フォルカンが持つ特徴を失ってしまっていたことも挙げておきたいと思います。
「毛筆の筆跡」とパイロット社が公式にうたっていた独特の線。筆圧がダイレクトに伝わり線の強弱をつけやすく、「はね」「はらい」の終端が極限まで尖り、キャッチフレーズに相違なく毛筆で書いたような筆跡になります。しかし、ペン先調整後はこの特徴はほぼ失われてしまいました。
また、以前確認した点でもありますが、通常のペン先では書き出せないような極細の線を書くこともできなくなりました。

どうしてこうなったのか

これらのことから予想できるのは、ペンポイントの紙との接触面積が広がったことが主因と思われます。
細い線が書けるのはそれだけペンポイントへのインクの供給が少ないためですが、フォルカンに関してはそれでも紙面に押し当てた際に紙がインクを引っ張ってくれるギリギリのラインになるように、ペンポイントの形状と切り欠きを設計されているのでしょう。前述した「針の先でこすっているような書き心地」なのは、紙との接触面積が極端に小さいためであると推測されます。いわば2本の針の先端がぴったり重なっているような状態に近いのです。
そこへ目の細かい紙やすりを当ててやれば、尖った部分は丸く削り落とされることは明白。接触面積が大きくなり、紙に引っかかるような感覚は小さくなり滑らかさは増します。さらに、引っ張られるインクの量が増大し線が太くなったものと思われます。

といっても、専門家ではないのでこれらのあて推量を裏付けることは残念ながら不可能です。そこで、せめてペン先がどんな状態になっているのかを確かめてみたいと、ペン先をマイクロスコープで拡大して観察してみることにしました。

拡大してのぞいてみよう

まずは横から見た図。
某通販で4000円で購入したマイクロスコープの実力、とくとご覧あれ!

フォルカンのペン先比較
……正直なところ、よくわかりませんね。
まず意外だったのは、同じペン種のペンポイントでも形状が微妙に異なることです。購入した時期に約1年の差があることを加味しても、イリドスミンという合金製のペンポイントを地金に溶接する際に生じる個体差? それとも製造された工場が異なるとかでしょうか? 要因は不明です。けれども書き味については、今回購入した未調整のペン先のほうが、調整前の今まで使用してきたフォルカンのそれと同等なのが不思議です。この程度形状が異なっていても、筆記には影響がないということですものね。

フォルカンのペン先比較(裏)
肝心の紙との接触面です。筆者は万年筆をかなり寝かせ気味に使用します。それゆえ、撮影した写真は紙に触れている部分であろう箇所をとらえています。どちらにもペンポイントの中心部分、つまり切り欠きを寄せてくっついている部分に研磨の跡が見られます。どちらのペンポイントもほぼ左右対称に削れていますが、調整済みのほうは削れている面積が特に縦方向に大きい(光が白く反射している面積が大きい)ように見えます。当然といえば当然とはいえ、「ダイヤモンドの次に硬い」という特殊な配合の合金でも、目の細かい紙やすりを人の手で擦りつければ削れてしまうんですね。さらに、調整済みのほうは14金の地金にまで研磨が及んでいるようにも見えます。
微細な違いですが、おそらくこれにより紙との接触面積が広くなり、インクを引っ張る量が増えたと推測されます。これが書き味が変わってしまった原因なのでしょう。たったこれだけです。これだけで、書き味がまったく変わってしまうのです。少なくとも、ペン先をヘタに自分で調整することは避けようと心に決めた次第です。
ちなみに、一番右は2年近く使用しているカスタム743のFM(中細字)の未調整のペン先です。同じ15号のペン先ということで、参考までに撮影してみました。インクを抜かずに撮影しています。フォルカンと比べてペンポイント自体の横幅が若干広いことのほか、切り欠きの隙間が大きいのも分かりますね。

未調整フォルカンを選んだワケ

筆者が適当に名付けている「万年筆画」は、当たり前ですが毛筆画ではありません。ですので、フォルカンに限らずどんな万年筆を使用して描いてもよいのです。それでもフォルカンという特殊ペン先にこだわっているのは、超極細の線が描けるからという特徴があるからです。ある意味異質の筆ですが、そこに魅力を感じるのです。
おそらくフォルカンで文章を長々と書くのが主目的であれば、調整いただいたペン先のほうが書きやすいためそのままだったでしょう。それこそ、WA(ウェーバリー:中字相当)やPO(ポスティング:極細字相当)など別のペン先を使ったほうがよい場合もあります。あるいは文章をつづるにしても、毛筆のような独特の筆跡をした文字を残したいのであれば、調整は不要とするかもしれません。
結局、筆の特性と自身の用途が合致していたかそうではないかというだけの話なのです。「弘法筆を選ばず」とはいうものの、少し悔しい話ですが今の筆者に関してはこれは当てはまらないのです。

選ばれる万年筆

そもそも「書きやすい(描きやすい)万年筆」とはどんなものを指すのでしょう。

たとえば、万年筆を取り扱っているお店に行くと、ショーケースの中に目移りするほど筆が並んでいたりするわけですが、お店の方に「このなかで一番書きやすい万年筆はどれですか?」とたずねてみるだけでも返ってくる回答は様々でしょう。いきなり「こちらです!」といって特定の万年筆を取り出してくる店員さんはおそらくいらっしゃらないと思います。たいてい「ご予算はどのくらいですか?」とか「好きな国(メーカー)はありますか?」など、逆にいろいろ質問されてしまうでしょう。そして、お客さんの要望にかないそうなものを数点ピックアップしてくれるはずです。それらを試筆をしてみて最終的に「自分の万年筆」を選ぶわけですが、店員さん自身はお客さんが「書きやすいかどうか」を判断して選りすぐったわけではないのです。筆にも個性がありますので、あくまで一般的な扱いやすさという点は吟味しているにしろ、最後は実際に使う人に選別してもらっているのです。

……そりゃそうやろ、と思うのですが、今回の件のように既存の筆の調整をする場合、それを実施するべきといったい誰が判断しているのでしょうか。

技術者が思う万年筆

ペン先に調整が必要な場合とはどんなときでしょう。
まず思い当たるのが、故障したときです。「筆を落としてペン先が曲がってしまった」「筆圧が強めなので長期間使用していると切り欠きが開いてしまう」といった際には修理としてペン先をいじる必要が出てきます。これは程度の差はあれ壊れたものを「直す」のが主目的ですので、書き味うんぬんの話とは別となります。それでは、他に理由があるのでしょうか。

包丁や刀など刃物を研ぐ仕事は「研ぎ師」という方が行います。研ぐことを専門とする職人さんですね。万年筆の世界にもペン先を研ぐ技術をお持ちの方がいらっしゃって、研ぎ師と呼ばれたりするそうです。当然紙を切るためではなく、書き心地を変化させるために「研ぐ」のです。
万年筆の研ぎ師の方は、数多のペン先に精通しているのはもちろん、各人の筆記の仕方に合わせた調整を施すことで、「使用する人にとって書きやすい万年筆」に仕立て上げることが可能だというのです。
それぞれのメーカーが万年筆に対しての理念があってそれが各々異なるように、研ぎ師の方も独自の哲学をお持ちでそれに従って調整を行います。人によって筆記の仕方が異なるのと同様、研ぐ人によって見立てが違うのも当然のことです。そしてそれは「良い書き味」についても、個人によって異なってくることにつながります。
「書きやすい(描きやすい)万年筆」は、人によって異なるのです。たとえば、研ぎ師の方がお客さんから未調整のペン先の調整の依頼を受けたとき、「あなたの場合は調整しないでこのままのほうがいいよ。研ぐと逆に書きにくくなるよ」という場合もありえるわけです。それでもお客さんから研いでほしいといわれればそうするでしょう。その結果として、お客さんが満足するならそれでよいのです……たぶんですけど。
片や自信を持って調整したにもかかわらず、お客さんから「かえって使いにくくなった」と言われてしまうこともありえるでしょう。そうなれば元に戻りません。ペン先を交換するほかなくなります。

よそ様の万年筆をいじる、またはよそ様にいじらせるというのは、おいそれとできることではない思うのです。依頼する人される人両人ともに覚悟が必要です。

実務者が思う万年筆

万年筆を実際に使用する人=お客さんの立場から見てみましょう。
新しい万年筆を手に入れたとき、どんな筆でも必ずペン先を調整してから使用するという方がいらっしゃるそうです。反対に、新品の万年筆には一切手を加えずそのまま使用するという方ももちろんいらっしゃいます。

調整を必須としている方は、自分の書きやすい筆とはどんなものかを経験的および知覚的に知っている、ということだと思います。気に入った万年筆があれば、それを手にし、試筆し、どんな書き味なのかを判断し、そこから何をどうすれば自分にとってよいペン先に変わるのか知っているのです。どうすればよいのかわからずとも、少なくとも自分が頭にイメージする書き心地を言葉で表現することができるのではないでしょうか。すなわち、万年筆側を自身の筆づかいに合わせるために改変するということになります。これは、調整が効く範囲内ならどんな万年筆でも選べるので、選択の自由度が上がるメリットがあります。

それとは逆、つまり万年筆には何も手を加えない方はどうなのかというと、これには2種類のパターンがあると考えられます。
ひとつは、筆自体の性質を念頭において筆選びをする場合。書きやすい万年筆とは、自身の筆づかいに合う性質を元から持っている万年筆のことを指すのです。自分の書きやすい筆を知っているという点では、前述の方と同じです。しかし筆の選択の余地は狭まるでしょう。それを探し求めるのが楽しかったりもするのですが。
もうひとつは、自身の筆づかいを万年筆側に合わせるという場合。筆の特徴をそのまま生かして使用したい、筆を使いこなせるようになりたいといった理由です。これについては言うまでもなく、書き心地を重視したいわけではなくその他の要素に魅力を感じて手にしたということになるでしょう。よって、本テーマから外れてしまいます。ちなみに筆者がフォルカンを手にした理由もこれです。
この二つに共通するのは、原則的に万年筆メーカーが提供している性能にユーザー側が追随する、いわば設計意図通りに使用するということです。ともすれば、加工=キズモノになるととらえられて、せっかくの新品なのにいたずらに手を加えたくないという心理的な働きがあるのかもしれませんね。

これらのことからわかるのは、万年筆を「書く道具」「描く道具」としてとらえたときの個々人のポリシーによって受け入れ方が異なるということです。書きやすい万年筆を「見つけ出す」か「カスタマイズする」か、アプローチの仕方の問題なのです。

完成された製品

インターネットで調べてみるだけでも、万年筆を作る人、調整する人、そして使う人で多彩な信条や哲学があることがわかります。それは本当に様々で、見解が真正面から衝突している場合もあります。どれが正解不正解であるのかはわかりません。
それでも、万年筆という道具を手にする際の大前提として「それで何をしたいか」ということは外せないはずなのです。筆記具として使用したいのか、それともコレクションとして鑑賞したいのか。筆記するのは手紙なのか手帳なのか。携帯するのかデスクに置きっぱなしなのか。インクは何を使うのか。はたまた所有欲を満たしたいだけなのか。幸いなことに、現代には高品質な万年筆が多数開発され流通しているのですから、なにをするにしても用途に合致する筆が存在し、それを選ぶというのが自然なのではないでしょうか。
細い字が書きたいのにBニブを選んでペンポイントを削って細く小さくしたり、太い線を引きたいのにFニブを選んで切り欠きを開いてインクフローを増幅させたりすることは、よほどニッチなニーズでもない限り行わないわけです。

万年筆を日常的に使用する方にとって、書きやすいほうがよいのは当然です。そしてそれは「何に使うか」により筆を選んだ時点で、ほぼ決まってしまうのではないでしょうか。

終わりに

今回のフォルカンの一件で、自分の希望する使い方に合う万年筆を選ぶことがいかに大事なことなのだということを痛感しました。約1年使用し続けてきた筆であるにもかかわらず、その特性について自身の理解が不十分だったわけです。もしそれを熟知していたら、今回の調整は不要であるとわかったはずなのです。

結局、アガツマさんには新しいフォルカンさんを迎え入れることになりました。同じフォルカンであっても、今まで使用してきた愛着のある旧フォルカンを手放すことになってしまったのは寂しいのですが、仕方がありません。
これでまたしばらくは、フォルカンで絵を描いていくことになるでしょう。大事に扱うのは当然のこと、今まで以上に親密なお付き合いができたらいいなと思っています。

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